小説 多田先生反省記
1.旅立ち
飛行機が岩国を越えて下関にさしかかるあたりから眺めはがらりと姿を変えた。薄雲のなびく水平線をしきみにして、小さな船が浮かぶ淡い緑の海原が丸い広がりを見せている。機体がすこしばかり左の方向へと傾いていくと、今度は真っ青な空しか見えなくなって逆さまになっているような気もしたが、そうでもないらしい。ぐーんと体が斜めに落ちていくように沈んでゆく。ほどなく構えが平らになると、眺めの方も戻っていたが、その様は先ほどとはいささか違う。船が大きくなっていた。ひとすじの細道が海の中にのびていって、おだやかな潮路がその白砂を洗っている。その先にお椀をひっくり返したような小さな島が浮かんでいる。きらめく白浪の向こうに見えていた街並みの上空へと入ったあたりから機内には軽やかな曲が流れてきたが、耳の奥の方がどうにも愉快でない。ゴクリと唾を呑み込むと耳の穴を塞いでいたものがポロリと落ちたような気がした。
私、多田博。中学生の頃に修学旅行で京都を訪れたきり、それより西に足を伸ばしたことはないし、これから赴く城南学院大学がある福岡のことは殆ど何も知らない。東北の仙台の片田舎に母の故郷があったし、幼い頃そこにいた祖父母のもとで暮らしていたこともあって、仙台近郊や東北は曽遊の地でもあったが、箱根の山の向こうは遙か彼方の西国という感をいだいていた。当時は東海道新幹線の終着駅は岡山だったので、乗り継ぎをしないで博多に行くには夜行寝台を利用するしかなかった。時刻表を片手にその行程を想像してみたら、寝台車でうとうと眠って、朝飯を食べ終わってもまだ目的地には着きそうにもない。遠い福岡の城南学院大学に赴任することになったのはたまたま大学院の同窓でもあり、高等学校時代にドイツ語を教えてくれていた中川のお声掛かりで、長年暮らした東京には飽きた感がしていた私が文学部の講師として送り出されることになったのである。九州だろうと北海道だろうとどこでもよかった。見ず知らずの街にふらりと行って新しい風に吹かれてみたかったのだ。つい先ほど羽田空港で別れた何人かの顔が浮かんできた。
「お前、本当に九州に行くんだ。嘘だと思ってたよ。大阪までは行ったことあるけどその先は知らないんだ。どんな所なのかな」
大学時代の友人の矢口がそう云った。
「俺なんか、京都までしか行ったことない」
「わ、おじさん太った!」
大学にいたころから内藤久美子はなぜか私をおじさんと呼んでいたのだが、私がおじさんと呼ばれる理由は私はもとより誰にもわからない。
「久美子、久しぶりだな。俺も小さいけどお前も相変わらず大きくなってないね。ろくに飯くってねえんじゃないか?」
「おじさんだってお米、横にばっかり食べてたんじゃないの?」
「向こうでは家はどうするの?アパート借りたの?」
矢張り大学の同窓の渡辺節子が訊いた。
「私、九州にいったら泊めてくれる?」
「下宿するんだ。賄いつきでね。一人でアパート借りて飯なんかつくってたら侘びしくてたまんないよ」
「多田は寂しがりやだからな」中学生の頃からの友人の檜山が云った。「それにしてもよ、この間まで末は博士か大臣かなんて息巻いてたけど、やっぱり、はてさて田舎の先生ってところに落ち着きそうだな」
「檜山、田舎って云ったら多田に悪いよ。城南学院大学は街の中にあるんだ。俺のいたところは反対側のぼた山のあった本当の田舎だけどさ」私を介して知り合いになっていた福岡の直方を故郷にもつ穂坂が口を挟んだ。
「今は城趾しかないけど黒田藩の舞鶴城の近くにあるんだ」
下宿は中川があてがってくれている。ニシジンという町にあるらしい。西新と書いてニシジンと濁って読ませるところからすると古くて趣のありそうな、城下町のたたずまいのような気がする。一度挨拶の便りを出しておいた。
「未亡人らしいんだ、下宿先は」
私は勝手にそう決めていた。部屋は六畳間。半間の廊下が南国の朝の強い陽射しを和らげてくれる。内庭には枝振りのよい小さな松の木。今時分、白玉や八重の椿はすっかり散ってはいるだろうが、やがて木蓮が花をつけるようなら申し分がない。音のない雨にうたれる紫陽花も梅天の空模様にはうってつけである。秋にはキンモクセイの強い香りが部屋に忍んでくるのも悪くはない。想いは膨らむばかりだった。
「東京にはいつ帰ってくるんだ?」
高等学校の頃ラグビーを一緒にやっていた藤田が訊いた。藤田のポジションはスクラムハーフで私がフロントのフッカーというコンビで三年間一緒に楕円形のボールを追いかけ回した仲だった。
「一年くらいはじっくり腰を落ち着けなくちゃな。ゆっくり遊びにこいよ」
私たちは一年前の秋に私の田舎町を振り出しに三陸海岸から久慈を経て青森そして函館まで足を伸ばした。田舎では叔父たちの家に厄介になり、いわば旅の始まりの宮古ではYMCAの会員として海辺のとある宿に部屋をもとめた。浄土ヶ浜のせせらぎに足をぬらして遊んで宿に再び帰ってみると、仲居さんたちは豪華な刺身を盛ったお膳を部屋に運び込んでいた。私たちは海の幸が並ぶお膳を今や遅しと待ちくたびれていたが、大きなその部屋にどやどやと新しい客が入ってきたかと思うと、ひょろ長いテーブルが置かれ、その上に茶碗とお椀が横一列に並んで、そこに小さな小鉢と焼いたサンマが出された。ご飯とみそ汁は自分でよそわなくてはならなかった。YMCAの宿はそれでお仕舞いにした。
「それにしても福岡は遠いな。函館まで行くより距離がありそうだもんな」
「だから飛行機にしたんだ。一人で福岡までなんて気が遠くなるよ」
飛行機はきらめくさざ波を掠めるようにして博多の町へと降りていった。二、三度バウンドしたかと思うとものすごい勢いで停まろうとしているのが伝わってくる。飛行機に乗るのが初めての私は懸命に足をつっぱらかして踏ん張った。やがて通路側に座っていた隣の若い女性がカチャリとシートベルトを外して席を立っていった。いかにも飛行機に乗り慣れているようで可愛げがない。飛んでいる間も椅子を反らしてふんぞり返るようにして本を読んでいたので、私も背と足に満身の力を込めてみたが座席はチクリとも動かなかった。私はガチャガチャと音をたててシートベルトをはずして席を離れた。
ロビーには手筈通り中川が出迎えてくれた。八年ほど会わぬうちに頭の方がかなり薄くなっている。
「中川先生、お久しぶりでございます」
あらぬ方を見ていた中川は一瞬たまげた面持ちでぶ厚いめがねの奥から私を見つめた。
「や、失敬。気づかずにいました」
搭乗前に預けておいた荷物を受け取ってすぐに歩き出したが、鞄が重くて歩きにくい。ロビーを出てタクシーに乗り込んだ。
「平尾先生にご挨拶をして、それから下宿に案内します」
「はい、よろしくお願いします。平尾先生は文学部長もなさっているそうですね。専門はハイネだと伺っておりますが」
中川はまっすぐ前の方に顔を向けていて、軽くうなずいたようにも思えたがはっきりしない。
「学修院の先生方が中川先生によろしくとおっしゃっておられました」
「ああ、そうですか。有難う」何が有難いのか、とりわけ有難そうな顔を見せるでもない。
「僕は初めて博多にきました」
「・・・・」
返事がないのも尤もかもしれない。初めて来る土地だから迎えを頼んだのである。わかりきったことしか云わないのだから中川としても返答の仕様がないのだろう。そのうち天神に着いたところで今度は電車に乗り換えることになった。電車の窓から閑静な住宅街と近くに低い山並みが見える。
「平尾先生のお宅までタクシーで行ってもよかったんだけど、君もある程度、町の様子を知っておいた方がいいと思って」
「はあ」私は曖昧な声を出した。「下宿はどの辺りですか?」
久しぶりに声をかけられたので話の接ぎ穂を見つけようとしたのだがすぐに枯れてしまった。ややしばらくして中川は私に顔を向けるでもなく相変わらずぶっきらぼうに「下宿に荷物が届いていました」と云ってきた。
「ああ、そうですか。それはよかった。いや、荷物が届いていなかったら、しばらくホテル住まいをするつもりでいまして。それで当座の着替えなんか詰め込んできたものですから荷物がやたら重くて。・・・いつ着いたんでしょうか?」
「・・・・」
電車はいくつかの駅に停まった。どこまで行くのか中川が買ってくれた切符をみても見当がつかない。行く先を聞けば応えてくれるかもしれないが、駅の名前は端からわかっているし、そこから先の分別がつかない。
「さあ、降りるよ」
私は慌てて網棚から鞄を引きずりおろして中川を追った。平尾の家は駅から十分ほどの距離にあった。頭に霜髪を置いた平尾に中川は端然と座ってご機嫌伺いの挨拶を重ねている。私は適当に中川の挨拶に同舟した。
「多田先生、今日はお出迎えに参りませんで、大変失礼をいたしました」
「いえ、とんでもございません。こちらの方こそ中川先生に厚かましくお出迎えをお願いしまして・・・」
「このところ、ちょっと加減がよろしくありませんで」平尾はこほんと咳をして続けた。
「私も空港まで行く積もりでいたのですけど、そんなわけで中川先生にお出でいただいて、私はこうして家でお待ちしていたわけです」
「は、畏れ入ります」
「いえ、そんなに畏れ入られても困りますが。いえ、わたし、ここ一年ほど前から副学長も務めさせていただいておりましてね。ハイネの研究の方もすっかり滞っておりまして。困ったものです」
「私も一日も早く先生のご研究が出版されるよう首を長くしてまっているのでございますが、なんと申しましても今は先生にご尽力いただきませんと。大学の方は抜き差しならない状態に入ってしまいますし、そう申しましても先生のご研究をいつまでも中断願っておくというのも、実に心苦しいところでありまして・・・」
「相良出版からもたびたび催促の手紙や電話がくるんですけどね、わたしとしてはあと一年や二年は遅れても仕方ないなと思っているんです。城南学院にご奉公できるのもあと何年かですし、いつまでもわたしのような老体が口を挟むようではいけませんしね」
「いえ、滅相もありません。ここはやはり平尾先生のご見識が不可欠でございます。実はですね、先だって商学部長の方から話がありましたのですが・・・」
私は所在なく書棚などに目をやっていた。ハイネ全集や研究書が整然と並んでいる。マホガニーの大きな机には読みかけらしい本がページを開いていた。二人は私のいることも忘れたかのように夢中になって話し込んでいる。途中、出前の寿司が運ばれてきたときだけ他愛もない東京の空模様が話題に出たが、すぐに大学の面倒な件に戻ってしまった。
「多田先生、着任早々にこんなつまらないお話をお耳に入れまして失礼しました。どうにも大学というところはなかなか尋常な道理が通らないところでして。いろんなのがいるんです。お聞きの通り」
「いえ、まあ、そんなこともございませんでしょうが」突然、話の矛先が向けられて、端からろくに聞いてもいない私にはどう応えてよいものやらさっぱり見当がつかなかった。
「でも、あまりお気にとめる必要はありませんよ。のんびりご勉強なさってください。すべて中川先生にお任せしておけば大丈夫ですから。ねえ、中川先生」
中川は固い表情を私に送ってきた。ここにいたってどうやら気に掛けなくてはならないような話だったらしいことはわかったが、何をどう気に留めなくてもいいのかはっきりしない。うやむやのうちに私たちは送りか迎えか決めかねるものの、兎に角平尾が手配してくれたタクシーに乗り込んだ。
暮色に染まる街の中を車は右に左にいくども折れ曲がり、一路かの未亡人のもとへと邁進してゆく。私を待ちあぐねているのではないだろうか。心づくしのお膳を前に軽くため息をついているかもしれない。もう平尾と中川の面倒な話の投げ合いなど頭の片隅にも残ってはいない。
「君はお酒は飲めますか?」
「はい、あまり強い方ではありませんが、どちらかといえば好きな方です」
東京を発つにあたって、独文研究室の助手をしている女性から「九州人とは対等に杯を交わすなどとはゆめゆめ考えていけない」と云われてきた。関門海峡の向こうはウワバミの住処のような物言いだった。
「中川先生は召し上がるんですか?」
「ええ、毎晩やります」
「平尾先生は召し上がらないようですね」
平尾の家で出てきたのは出前の寿司とお吸いだけで、お茶のほかには飲み物は何もなかった。
「まったくお呑みになりません。絶対お呑みにならないんです。これまで何回かお勧めしたことはあったけど決して口にしませんでした」
「タバコもやりませんね。何か理由でもあるんでしょうか?」
「あ、言い忘れてたけど教授会では禁煙です。心得ていてください」
「あ、そうですか。わかりました。それにしても平尾先生はなぜお酒もたばこもやらないんでしょう。嫌いなんでしょうか?」
「これまで一度も経験なさってないから好きも嫌いもないそうです。」私はそんなものかと思った。「お酒の好き嫌いの判断はご自分でもなされないようですが、酔うということはお好きではないようです」
「中川先生は量の方はいかがですか?」
「リョウ?ああ、割合多い方でしょう」
「九州の人はめっぽう強いそうですね」
「・・・・・」
調子に乗りかけたところでまた中川は応えない。今度はすぐにわかった。中川は長野の出だった。
「平尾先生はクリスチャンだと聞いてましたが・・・」
「ええ、そうですが・・・」
「それでお酒もたばこも召し上がらないのかもしれませんね」
「僕もクリスチャンです!」
タクシーが停まった。どこにも城下町という風情のかけらもない。突然、青白い閃光が頭上で閃いた。薄汚い市街電車が三叉路で格別やかましい音をたてて動き出したところだった。
「君の下宿はすぐそこです。どこかで一杯呑んでもいいけど、今日は疲れていることでしょうし、日を改めて呑むことにしましょう」
ごちゃごちゃとだらしのない店がまとまりなく居並ぶ見知らぬ町角で酒を呑む気分にもなれない。微かに潮の香りが漂っている。市電をやりすごして道路を横切ってほどなく背中越しに銭湯の灯りをうけて左に路地を折れた。
「ここです。ちょっと古い家だけど、仮の住まいにしてあとでじっくりと気に入った家を探せばいいと思ってまして・・・」
うっかり寄りかかることもままならないような門のところで中川はそう云った。玄関先の陣笠電球があたりをほんのりと照らしている。右手には大きな納屋のような建物がある。不意に中川はその納屋の方に歩いていくと、何やら大きな声を出している。慣れてきた目でみればそこは納屋ではない。まがりなりにも格子戸の玄関口がある。中川がガタピシと戸を引くと、奥の襖が開いてにゅうっと人の影があらわれた。灯りを背負っているだけにひょろひょろとした婆さんの姿は一層不気味だった。口をもぐもぐさせながら泣いているような、笑っているような妙な声を出しながら、たたきの所まできて手を振り上げた。薄暗い玄関が明るくなった。婆さんが電灯の紐を引いたのだった。慌てて膝を折って、ふがふが云いながらしきりと頭を上げたり下げたりしている。どうやら晩飯を食っていたらしい。中川が声をかけたところでもう一口かっこんで出てきたのだろう。ようやく呑み込んだようで、三日月に目鼻をこしらえたような顔をこちらに向けてエヘラエヘラと笑っている。
「どうも遅くなりました。もっと早くお連れするつもりでいたのですが、途中で用事をすませてきましたので。こちらが多田先生です」
「多田です。よろしくお願いします」
「はあ、まあ、ようきんしゃった。さ、どうぞ、あがんなっせ。さ、中川シェンシェイもどうぞ」そう言いながら婆さんは膝を伸ばしかけた。
「いや、私は遅くなりましたので、これで失礼します。多田君、明日、大学で会いましょう」
「はい、かしこまりました」私はそれだけ言うのが精一杯だった。ほかに人の気配はない。中川が帰りを急ぐ気持ちはよくわかる。一緒にくっついていきたいところだった。
「では申し訳ありませんが、明日、多田先生に大学に行く道順を教えて下さい。お願いします」
「はいはい、ようございます。中川シェンシェイえらいご苦労なこってございました」
中川は一礼して玄関を出ると、またガタピシと戸を引いていった。弾みがついたようで凄まじい音を立てて戸が閉まった。閉じこめられたようで気味が悪い。
たたきを上がるとそこは障子と壁にはさまれた一間の廊下になっている。右手には二部屋あるようだ。今しがた婆さんが出てきた突き当たりの部屋に通されて、明かりをまともに受けた婆さんの顔はやはり三日月だった。雨水がたまりそうなくらい目と頬がくぼんでいるが、どことはなし愛嬌も感じられる。
「まあ、ようこげん遠かとこまできんしゃったですな。ほんなこつ、えらい長旅で、やおいかんやったでっしょ」
私は飛行機で来たことを告げた。
「あら、そげんですか。あたしゃそげんかもん乗ったことなかですもん。なんちゅうたかて、学修院ばでらっしゃったとですもんね。いえね、中川シェンシェイにはお断りばしたとですばってん。こげんボロ家でっしゃろ。とても畏れ多してですな。それにこげん棺桶さ片足つっこんだような田舎もんのババアに東京からきんしゃるシェンシェイの世話はようしきらんと思いましてな」
初めて耳にする博多弁で、おまけに早い口調で一気にまくしたてられて、おおよその見当しかつかなかったが、棺桶に片足というのは両足の間違いかなとも思えた。
「いえ、まあ。・・・ところでお食事中だったのでは。どうぞ僕には構わずに続けてください」
卓袱台の上が散らかっていた。
「いえ、もうしもうたとですよ。シェンシェイの方はまだでっしゃろう。なんもありまっせんばってん、茶漬けなっと、どげんですな?」
納豆茶漬けなど食わされたものではたまらない。
「いえ、途中で済ませてきました。ところでお宅には他にはどなたもいらっしゃらないのですか?」
「いえね、今は春休みですけん。みんな帰っとらっしゃるとです。4月になったら、また、にぎやかになりますたい。2階にはあーた、九大の学生しゃん、それから城南学院の高校の生徒しゃんもおらっしゃるとですよ」
この家が2階造りだと知って驚いた。玄関の突き当たりはこの居間だし、その先は廊下の向こうにガラス戸を境にして庭がほのみえる。隣は台所のようだし、一方は壁になっている。大いに不安になってきた。
「僕の部屋はどちらでしょうか?」
「あら、すんまっせん。あたしばっかり喋くりよって。ころっと忘れとりました。こっちですけん。どうぞ!」
婆さんは先ほどの玄関に向かう襖を開けた。私の部屋は玄関口の廊下に面した障子の部屋だった。婆さんが飯を食っていた部屋を仕切る襖の隙間から光が漏れている。婆さんが電灯の紐を引っ張って部屋が明るくなった。前もって送っておいた荷物は梱包されたまま、今しがた婆さんが飯を食っていた部屋との間仕切りの襖を背にして並んでいた。4畳半ということだが、ゆうに6畳の広さである。突き当たりは押入だった。もう一方の部屋とは障子で仕切られている。この部屋に窓はない。続きの間を書斎にしてここを寝室にしようかと考えながらその障子に手をかけた。
「あ、多田シェンシェイ、そっちはフショーのシェンシェイの部屋ですたい。今、春休みですけん、お家の方さ帰っとらっしゃるとです。ばってん、普段でもおらっしゃれんようなもんですたい。ヒッヒッヒ。えらいお酒ば好いとんしゃぁけん、もう、あーた、毎晩午前様ですたい。いえね、結婚しとんしゃぁとですばってん、フショウのシェンシェイになって、家からよう通えんちゅうて、ここに下宿しとんしゃぁとです。奥さんも小学校のシェンシェイですたい」
「そうしますと、僕のほかに3人?ですか。その、先生はやはり、城南学院か九州大学の?」
「いえ、あーた、フショウのシェンシェイですたい。」
「そうですか?」どうにもはっきりしないが、いずれ私も不肖の先生と呼ばれることになりそうな気がしてきた。
「風呂に入りたいのですが・・・」
「お風呂ですな?お風呂はですな、今、入ってきんしゃった露地ば出たあすこですたい。今すぐ行きんしゃぁとですか?」
「そうですか。それなら今日はもういいです。顔だけ洗わせてください。洗面所はどこですか?」
「センメンジョ?ああ、顔ば洗いなさっとですな。庭に井戸がありますばってん、もう暗かですけん台所であろおてよかですたい。今すぐ片付けますけん。」
婆さんは慌てて先ほどの居間を抜けて、台所で流しを片付けている。なるほど台所の片隅に梯子がある。二階の部屋へはこの梯子段をよじ登っていくようだ。トイレの在りかを聞くと、「こっちですたい」と言い残して台所から闇の中に消えていった。トイレは玄関口に並んでいる。つまり不肖の先生の隣の方角にある。私にあてがわれた部屋からトイレに行くには、まずは婆さんが飯を食っていた部屋に入ってから台所を抜けて、人一人すり抜けられる位の隙間を通っていくか、不肖の先生の部屋を抜けていくかのどちらかになる。トイレの格子戸越しに楓の葉がゆさゆさと揺らめいていた。賑やいだ空港での見送りに始まった旅立ちの一日が終わろうとしている。
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